アキレス腱断裂の手術当日、私が感じたのは仕事の不安ではなく「身体が元に戻るのか」という恐怖でした。
これまで私の頭を支配していたのは「仕事はどうなるのか」という不安でした。営業職という立場上、動けないことは戦力外と同じだと感じていたからです。
しかし手術の日を迎えて初めて、恐怖の正体が変わりました。
仕事を失うことではなく、「自分の身体が元に戻るのか」という不安。
部分麻酔で意識があるままメスが入る現実、家族の存在、長男の受験、そして仕事への執着。揺れ動く心の中で、私が何を考えていたのか。これはケガの記録であり、同時に、人生観が変わり始めた一日の記録です。
ケガ当日の出来事と、最初に頭に浮かんだのが「仕事」だった話は、こちらに書いています。
👉 【第1話|アキレス腱が切れた日、最初に浮かんだのは仕事のことだった】
手術当日|仕事より先にあった本当の恐怖
朝、目が覚めた瞬間に、すぐ分かりました。
今日はいつもの「仕事中心の日」ではありません。
手術の日です。
カーテン越しの光がいつもより白く感じました。
静かな朝のはずなのに、胸の奥だけが落ち着かない。
午後からの手術。
それなのに、午前中はパソコンを開いて仕事をしている自分がいます。
メールの返信。
案件の確認。
引き継ぎ資料の作成。
手術を控えている人間がやることなのか。
頭ではおかしいと分かっているのに、手が止まりません。
それが「習慣」なのか、
それとも「怖さから逃げるため」なのか、
自分でも分からないままキーボードを打っていました。
仕事の不安が身体の恐怖に変わった瞬間

これまで頭の中にあったのは
「復帰できるのか」
「営業成績はどうなるのか」
そんな仕事の不安ばかりでした。
でもこの朝は違いました。
「自分の身体は元に戻るのか」
その言葉が、何度も頭の中を巡ります。
それでも同時に、
「次週契約予定のクライアント」
「社内の稟議」
「上司への報告」
仕事のことも消えてくれません。
仕事の不安と身体の不安が、
頭の中でぶつかり合っている感覚でした。
ケガ後の生活がどれほど不便だったか、松葉杖生活のリアルは第2話に詳しく書いています。
👉 【第2話|アキレス腱断裂後の生活は想像以上に不便だった】
妻の存在が、現実を突きつける
妻が仕事を休み、病院まで付き添ってくれています。
普段なら「大丈夫だよ」と軽く言って終わるような場面。
でも今日は違う。
静かに準備をしている妻の姿を見て、
これは本当に“手術の日”なんだ と実感しました。
手術着に着替え、ベッドに横になった瞬間、
心の中で何かがゆっくりと切り替わりました。
仕事は後からどうにでもなるかもしれない。
でも、自分の身体には代わりがいない。
頭では前日から理解していたこと。
それがこの瞬間、初めて「実感」に変わったのです。
それでも認めたくない自分
それでも心の奥では抵抗していました。
「仕事にだって代わりはいないはずだ」
「自分がいなければ回らない部分もあるはずだ」
そう思わなければ、自分の価値が揺らぐ気がしていたのかもしれません。
でもふと思いました。
もし数十年後、定年を迎えたときに身体が不自由だったら。
妻や子どもに迷惑をかけてしまう。
自分自身も、人生を楽しめない。
いつか日本一周をキャンピングカーで旅したい。
時間もお金も気にせず、
妻とゆっくり景色を見て、美味しい食事をして、
「よく頑張ったね」と笑い合える未来。
その夢が、今この手術にかかっている気がしました。
部分麻酔とアキレス腱手術への恐怖
医師の説明は静かで、淡々としていました。
「今回は部分麻酔です」
つまり、意識はある。
でも、足にはメスが入る。
その瞬間、胸の奥が一気に冷たくなりました。
逃げたい。
でも逃げられない。
今まで「身体は自分でコントロールできるもの」でした。
走るのも、働くのも、全部自分の意志だった。
でも今は違う。
医師に身体を預けるしかない。
感じたのは、恐怖と、どうしようもない無力感でした。
手術当日に仕事のことが頭をよぎる理由
不思議なことに、身体の不安が大きくなっているはずなのに、
仕事のことが何度も頭に浮かびました。
「今日の案件、誰が対応してくれているだろう」
「次週契約予定のクライアント、ちゃんと引き継げただろうか」
「戻ったとき、遅れを取り戻せるだろうか」
そして一番怖いのは、
「自分の居場所は残っているのか」
という感情でした。
身体を切られる怖さの中で、
なぜこんなことを考えてしまうのか。
それでも考えてしまうのが、
会社員として長年生きてきた自分の思考なのだと思いました。
身体より仕事を優先しようとする感覚。
それはもう性格ではなく、習慣に近い。
この状態になってもなお、
「役に立てているか」を気にしている自分が、
少し滑稽にも思えました。
在宅勤務初日、現場に行けない営業マンとして感じた葛藤については第4話に書いています。
自分がいなくても世界は回るという事実

これまで、どこかで思っていました。
自分がいなければ回らない仕事がある、と。
でも現実は違う。
同僚がフォローしてくれ、
上司が判断し、
仕事は回っている。
その事実は安心でもあり、同時に寂しくもありました。
「自分は特別ではない」
それを突きつけられているようで、
胸の奥がざわつきました。
でも同時に、こうも思いました。
自分がいなくても回る会社だからこそ、
自分は安心して身体を任せられるのかもしれない。
家族と受験を前にした父としての葛藤
そして、もう一つ頭から離れないのが長男のことでした。
人生をかけた受験。
これまで頑張ってきた時間の集大成。
本来なら、父親としてしっかり支えるべき時期。
それなのに、自分は手術台にいる。
「大丈夫だよ」と家族は言ってくれる。
でも心の中では思っていました。
支える側でいたかった。
今は支えられる側になってしまった。
それが悔しくて、情けなくて、
目を閉じると長男の顔が浮かびました。
「父親なのに、何やってるんだろうな」
そんな思いがよぎります。
手術を前にして気づいた身体の大切さ
ストレッチャーで手術室へ向かう通路は、
やけに長く感じました。
天井の照明が流れていく。
足音と車輪の音だけが響く。
その時間、何もできない自分がいました。
仕事もできない。
身体も動かせない。
ただ運ばれていくだけの存在。
「自分はこんなにも無力だったのか」
そう思った瞬間、
今まで“自分が支えている側”だと思っていた感覚が、
音を立てて崩れました。
アキレス腱断裂手術当日に考えたこと
手術当日になって初めて、仕事の不安より身体の大切さを強く意識しました。
これまで当たり前だった「歩く」「立つ」という動作がどれほど大切か、初めて実感した瞬間でした。
「止まること」は負けではなかった

これまで、止まることは遅れだと思っていました。
休むことは後退だと思っていました。
でも今は違います。
止まらなければ、
気づけなかったことがある。
支えてくれる人の存在。
家族のありがたさ。
そして、自分の身体があってこその人生だということ。
仕事ができるのは、身体が動くから。
当たり前のことを、今まで考えたこともありませんでした。
43年間、仕事中心で生きてきました。
それが正しいと思っていました。
でも今、初めて立ち止まって考えています。
自分の人生は、このままでいいのか。
本当に怖かったもの
ケガをした直後、一番怖かったのは
「仕事を失うこと」でした。
でも手術の日に分かったのは違いました。
本当に怖いのは、
自分の身体がどうにかなってしまうこと。
仕事は人生の一部。
でも、身体は人生そのもの。
この当たり前のことを、
私は今日、初めて本気で理解しました。
アキレス腱断裂の手術は想像以上に精神的な不安が大きいと感じました。
それでも現実はある
とはいえ、現実もあります。
家族の生活。
毎月の支払い。
給与がなければ成り立たない生活。
理想だけでは生きていけない。
だからこそ、
「身体を大切にしながら働く方法」
を考えなければいけないのだと思いました。
仕事を失わない生き方ではなく、
身体を失わない生き方。
そのバランスを、
これから探していく必要があると感じています。
手術前日、初めて「身体のほうが大事だ」と頭で理解した日の心情はこちら。
まとめ|価値観が変わる日

アキレス腱断裂の手術当日、本当に怖かったのは仕事ではなく自分の身体でした。
この記録は、ケガの記録であり、
同時に価値観が変わっていく記録ではないかと感じてます
今日、私は初めて
「身体を優先する」という感覚を実感しました。
怖い。
不安もある。
それでも、この経験は無駄ではないと思っています。
止まったからこそ、見えたものがある。
この気持ちを忘れないように、
ここに書き残しておきます。



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