会社の理不尽に疲れた|怪我をしてから飲み込めなくなった会社員の本音

会社の理不尽に疲れた|怪我をしてから飲み込めなくなった会社員の本音 アキレス腱断裂体験記

アキレス腱断裂をしてから、会社に対する見え方がかなり変わりました。
以前から理不尽だと感じることはありましたが、どこかで「会社員だから仕方ない」と飲み込んできた部分があります。

ですが今は、その感覚がかなり薄れてきています。契約を取れと言われる一方で、自分の担当エリアに同僚が平気で入ってきて、勝手に開拓している。しかも上司も特に何も言わない。昔なら悔しさを飲み込んで終わっていたことが、今は「そんな会社に人生の大半の時間と精神を注いできた自分は何だったのか」と感じるようになりました。今回の怪我をきっかけに、今まで耐えてきた会社の理不尽さを、もう以前のようには受け止められなくなっています。今回は、会社の理不尽に疲れた今の本音と、怪我をしてから変わった価値観について書いていきます。

怪我をしてから、会社の理不尽が前よりしんどくなった

以前は飲み込めていたことが飲み込めなくなった

アキレス腱断裂をしてから、会社の理不尽さが以前よりかなりしんどく感じるようになりました。
もちろん、理不尽なこと自体は今に始まった話ではありません。今までも納得できないことはありましたし、「それはおかしいだろ」と思う場面は何度もありました。でもそのたびに、自分の中で無理やり飲み込んできた部分があります。会社員として働く以上、そういうことは多少ある。組織にいる以上、全部が自分の思う通りにはならない。そうやって自分を納得させてきました。

実際、以前の自分はかなり会社中心で生きていたと思います。
今回アキレス腱断裂をした瞬間も、痛みより先に頭に浮かんだのは「仕事どうしよう」でした。普通なら体の心配をする場面なのに、最初に考えたのが仕事だった。その時点で、自分がどれだけ会社に縛られて生きていたかがよく分かります。

だからこそ、以前は多少のことは我慢してきました。
理不尽なことがあっても、「今は耐えるしかない」「結果を出すしかない」と思ってきたし、実際にそうしてきました。納得できないことがあっても、感情を表に出さずに仕事を優先してきたつもりです。
でも今回、怪我をして思うように動けなくなってから、その感覚が大きく変わってきました。

一番の変化は、今までなら飲み込めていたことが、素直に飲み込めなくなったことです。
理不尽なことに対して、「まあ仕方ない」で終わらせる力が弱くなったというか、無理に納得すること自体がしんどくなりました。
たとえば、契約を取れと言われながら、自分の担当エリアに同僚が平気で入ってきて、勝手に開拓している。しかも上司も特にお咎めなし。以前なら悔しくても飲み込んで、次で見返すしかないと思っていたかもしれません。
でも今は、その出来事そのもの以上に、「そんな会社に長い時間と気力を注いできた自分は何だったのか」と感じてしまいます。

これは単なる愚痴ではなく、自分の価値観が変わってきた証拠だと思っています。
怪我をして、働けることも、動けることも、当たり前ではないと実感した。
その状態で会社の理不尽さを見ると、以前のようには処理できないのです。
今までは、会社の中でどう立ち回るか、どう結果を出すか、どう評価されるかを優先してきました。
でも今は、それよりも「自分の人生にとってそれは本当に必要なのか」という視点が強くなっています。

理不尽なこと自体は昔からあったはずです。
ただ、怪我をしてからは、それを受け流すだけの余裕も気力もなくなった。
そして同時に、今まで自分がどれだけ無理をして会社に合わせてきたかも見えてきました。
その意味で、怪我をしてから会社の理不尽が前よりしんどくなったのは、弱くなったからではなく、ようやく自分の本音が見えてきたからなのかもしれません。

体が弱ると、気持ちまで無理できなくなる

今回強く感じたのは、体が弱ると気持ちまで今まで通りには無理できないということです。
元気な時は、多少の理不尽があっても勢いで押し切れる部分があります。仕事が忙しくても、とにかくやる。納得できなくても、結果を出す方に意識を向ける。そうやって気持ちを前に向けていれば、ある程度は持ちこたえられます。
でも怪我をして、思うように動けなくなった今は、そのやり方が通用しなくなりました。

アキレス腱断裂後の生活は、ただでさえ不便です。
移動も大変ですし、仕事を続けるだけでも負担があります。単身赴任先での生活もかなり不便で、食料品の確保や通勤だけでもかなり神経を使います。そういう毎日の中で、さらに会社の理不尽さまで飲み込むのは、正直かなりきついです。
体に余裕がないと、気持ちまで無理して会社に合わせることが難しくなる。これは今回かなり実感しました。

以前なら「ここで腐っても意味がない」と思えた場面でも、今はそこまで割り切れません。
むしろ、「なぜ自分ばかりこんなに合わせなければいけないのか」と考えることの方が増えています。
それはわがままになったというより、今まで無理していただけなのだと思います
体が元気な時は、多少無理してでも会社に合わせることができた。
でも怪我をすると、その無理が一気に表面化します。
今まで見ないようにしていたものが、隠せなくなる感じです。

今回の怪我は、単に足の問題だけではありませんでした。
自分の働き方や、会社への向き合い方まで見直すきっかけになっています。
体が弱ると、精神的な我慢も効きにくくなる。
その状態で理不尽な現実を前にすると、今までのように「仕方ない」で済ませることができなくなる。
自分は今、まさにその状態にいるのだと思います。

だから最近は、会社で起きることに対して以前より強く反応してしまう自分がいます。
でもそれは悪いことばかりではなくて、自分が本当に嫌だと思っていること、本当は納得していなかったことが、ようやくはっきりしてきたということでもあります。
怪我をして体が弱ったことで、気持ちまで無理できなくなった。
でもそのおかげで、自分が今までどれだけ会社に合わせて生きてきたかも、かなりよく分かるようになりました。

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契約を取れと言うのに、担当エリアには平気で入ってくる

頑張るほどバカを見る構造に疲れる

会社で最近特にしんどいと感じているのが、契約を取れと言われる一方で、自分の担当エリアには平気で入られることです。
営業である以上、数字を求められること自体は当然だと思っています。結果を出すことが仕事ですし、その責任から逃げるつもりもありません。実際、自分もこれまでその前提でやってきました。
でも、だからこそ余計に納得できないのです。

こちらには契約を取れ、数字を作れと言う。
それなのに、自分が担当しているエリアに同僚が平気で入ってきて、勝手に開拓している。これでは、同じ土俵で戦っているようでいて、実際にはかなり不公平です。
本来なら、担当を持たせる以上、その範囲はある程度守られるべきだと思います。少なくとも、何のルールもないように自由に動かれてしまえば、まじめに担当を守っている側がバカを見る構造になります。

しかも厄介なのは、こういうことが一度や二度の話ではなく、積み重なることです。
最初は「たまたまかもしれない」と思おうとしました。
でも何度も似たことがあると、もうそうは思えません。むしろ、ちゃんと線引きを守ってやっている自分の方が損をしているのではないかという感覚が強くなります。

ここでしんどいのは、単に成果を横取りされる感覚だけではありません。
真面目にやること自体が損になるような空気に疲れてくることです。
ルールを守る、担当を意識する、無駄にぶつからないように配慮する。そうやって仕事をしている側ほど、結局は不利になる。
その構造が見えてしまうと、「何のためにちゃんとやっているんだろう」と思ってしまいます。

以前の自分なら、それでも結果で見返そうと思っていたかもしれません。
でも今は、アキレス腱断裂をしてから価値観がかなり変わってきていて、そこまで会社の中の勝ち負けに気持ちを注ぎ続けること自体がアホらしく感じるようになっています。
ただ、それでも悔しいものは悔しいですし、理不尽だと思う気持ちも消えません。
この中途半端な感情が、今はかなりしんどいです。

同僚の行動より、それを放置する会社がきつい

正直に言うと、今は同僚本人への怒りよりも、それを放置している会社や上司の姿勢の方がきついです。
同僚が担当エリアに入ってくること自体ももちろん嫌です。ですが、もっとしんどいのは、それを見ても特に何も起きないことです。
誰かが止めるわけでもない。注意されるわけでもない。結果として、「そういうことをしても別に問題にならない会社なんだな」というメッセージだけが残ります。

ここがかなり虚しいです。
もし明確にダメだと言われるなら、まだ組織として筋が通っています。
でも現実は違う。契約は求めるのに、領域は守られない。ルールがあるようで、実際には強く言った者や動いた者が得をする。
そうなると、会社が見ているのは過程や公平さではなく、その場の数字だけなのだろうと感じます。
そしてそういう環境の中で、長い時間を使ってきた自分は何だったのかと考えてしまいます。

今回の怪我で、以前よりそういう違和感がはっきり見えるようになりました。
今までは、「会社なんてそんなもの」と無理やり飲み込んでいた部分もあります。
でも今は、その一つひとつが以前より重く感じます。
体が弱っている時に、こういう理不尽まで受け止めるのは正直かなりきつい。
だから最近は、目の前の同僚に腹が立つというより、そういう状態を当たり前にしている会社そのものに疲れてきています。

関連記事:アキレス腱断裂で価値観が変わった理由|在宅勤務減少・通勤5時間・有給中の仕事で感じたこと

上司もお咎めなしの現実に、会社の本音が見えた

ルールよりその場しのぎが優先される

今回の件で特にきつかったのは、同僚の行動そのもの以上に、上司が特に何も言わないことでした。
正直、会社の中で理不尽なことが起こるのは今に始まった話ではありません。人が集まる以上、多少のズレや不公平はあると思っています。
でも、そういう時に本来機能すべきなのが上司や組織の役割だとも思っていました。少なくとも、担当エリアのように仕事の線引きに関わることについては、誰かが整理しないと現場はどんどん歪んでいきます。

ところが現実は、そうはなっていません。
契約は求められる。数字は詰められる。
でも、担当エリアに平気で入られても、特にお咎めなし。
この状態を見ていると、会社はルールを大事にしているようでいて、実際にはその場が回っていればそれでいいと考えているのではないかと思えてきます。

つまり、明確な基準や公平さよりも、目の前の数字や空気を優先している感じです。
問題が起きても、誰かが強く声を上げなければそのまま流れる。
多少おかしくても、その場で揉めなければ放置される。
そういう積み重ねが続くと、現場で真面目にやっている側ほど疲れていきます。

今回の件もまさにそうでした。
担当エリアに同僚が入ってきて勝手に開拓している時点で、本来なら上司が何らかの整理をしてもいいはずです。
でも実際には何もない。
その結果どうなるかというと、「ああ、この会社ではそこは守られないんだな」と受け取るしかなくなります。

この感覚はかなり重いです。
なぜなら、単に一つの出来事に腹が立っているだけではなく、会社の考え方そのものが見えてしまうからです。
ルールがあっても徹底されない。
役割分担があっても曖昧。
問題が起きても、その場しのぎ。
そういう空気の中で仕事を続けていると、こちらもだんだん感覚が削られていきます。

アキレス腱断裂をしてから、以前よりそういうことに敏感になっているのもあると思います。
今までは「会社なんてそんなもの」と流してきたことでも、今は流しきれません。
体がしんどい時にまで、こういう曖昧さや不公平を受け止めるのは正直かなりきついです。
怪我をきっかけに価値観が変わったと感じるのは、こういう時に「もう以前みたいには飲み込めない」とはっきり思うからでもあります。

真面目にやる意味が分からなくなる

上司がお咎めなしで終わらせる現実に触れると、どうしても出てくるのが、真面目にやる意味が分からなくなるという感情です。
これはかなり危ない感覚だと思っています。
なぜなら、本来なら真面目にやること、筋を通すこと、担当を守ることは、最低限の土台であるはずだからです。
でも、それが守られない環境にいると、次第に「真面目な方が損なのでは」と感じるようになります。

自分はこれまで、少なくとも仕事にはかなり本気で向き合ってきたつもりです。
いい加減にやってきたつもりはありませんし、数字も責任も背負ってきました。
だからこそ、こういう曖昧な現実に出会うと余計に虚しくなります。
ちゃんとやることに意味があると信じてきたのに、その前提が崩れるからです。

もちろん、真面目にやること自体が間違っているとは思っていません。
でも会社の中でそれが正しく評価されるかというと、必ずしもそうではない。
今回のように、担当エリアに平気で入ってくる人がいても、止められない。
その状態で「契約を取れ」とだけ言われると、結局は何を大事にして働けばいいのか分からなくなります。

ここでかなりきついのは、怒りと虚しさが同時に出てくることです。
悔しい。理不尽だと思う。
でもその一方で、「そんな環境にいちいち本気で怒ること自体がアホらしい」とも思ってしまう。
この感覚はかなり消耗します。
以前なら怒りをエネルギーに変えていた部分もあったかもしれません。
でも今は、そこに自分の気力を使うことそのものが惜しくなってきています。

怪我をしてから強く感じるのは、時間も体力も気力も有限だということです。
だからこそ、会社の曖昧な運用や理不尽さに、自分の大事なものを削られるのが本当に嫌になってきました。
真面目にやる意味が分からなくなるというのは、単なる投げやりではなく、今まで会社に向けてきた気持ちの置き場がなくなってきているということなのだと思います。

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いつか見てろと思う自分と、会社に尽くしてきた時間が虚しい

怒りがあるのは、それだけ本気でやってきた証拠

正直、こういう理不尽なことがあると、今でも心のどこかで「いつか見てろ」と思う自分がいます。
それはたぶん、負けたくないとか、見返したいとか、そういう気持ちがまだ残っているからです。担当エリアに平気で入られて、上司も何も言わない。そんな状況を前にして、悔しくならないほど冷めているわけではありません。むしろ悔しいですし、腹も立ちます。

でも、その怒りが出るのは、裏を返せばそれだけ本気で仕事をしてきた証拠でもあると思っています。
最初からどうでもいいと思っていた会社なら、ここまで感情は動かないはずです。適当にやって、適当に流してきたなら、理不尽なことがあっても「そんなものか」で終わったかもしれません。
でも自分はそうではありませんでした。数字も責任も背負ってきましたし、会社員としての立場の中で、できることはかなり真面目にやってきたつもりです。

だからこそ、ないがしろにされるような感覚があると余計に刺さります。
悔しいのは、それだけ自分が会社の中で結果を出そうとしてきたからですし、担当エリアやルールを守ることにも意味があると思ってきたからです。
その前提が崩されると、「今まで自分が信じてやってきたことは何だったのか」と感じます。怒りというより、自分の積み上げが軽く扱われたような感覚に近いのかもしれません。

部署異動前は5年間管理職も経験した。それでも今は怒ることすらアホらしく感じる

しかも自分は、部署異動前に5年間管理職も経験しています。
ただ言われたことをこなしてきただけではありません。現場を見る立場にもいましたし、人を動かす側の苦しさも、責任の重さも、ある程度は分かっているつもりです。だからこそ、今の状況をただの感情論で片づけたくはありません。
それでもなお、今の会社の理不尽さを前にすると、だんだん気持ちが冷めていくのを感じます。

昔なら、「いつか結果で見返してやる」と思えたかもしれません。
でも今は、その怒りにまで自分の時間や精神を使うこと自体が、どこかアホらしいと感じるようになってきました。
怪我をして、思うように動けず、生活も仕事も不自由になって初めて、自分の時間や気力がどれだけ貴重かを実感しています。そんな中で、会社の理不尽さに本気で怒り続けることが、本当に自分の人生に必要なのかと思ってしまいます。

これは諦めとは少し違います。
むしろ、今まで会社に向けすぎていた気持ちが、ようやく自分の人生の方に戻り始めている感覚に近いです。
怒りはある。悔しさもある。
でも、その感情を会社にぶつけ続けても、自分の時間が削られるだけではないか。そう考えると、今まで会社に尽くしてきた時間の長さまで、少し虚しく感じてしまいます。

怪我をきっかけに、会社に注ぐ時間と精神が惜しくなった

人生の大半を会社に使うことへの疑問

今回のアキレス腱断裂をきっかけに、かなり強く感じるようになったのが、会社に注いできた時間と精神が惜しいという感覚です。
以前から忙しさや理不尽さに疲れることはありましたが、それでもどこかで「仕事だから仕方ない」「会社員として生きるならこういうものだ」と思ってきました。
でも怪我をして、生活も仕事も思うようにいかなくなった今、その考え方がかなり揺らいでいます。

特に思うのは、自分はこれまで人生のかなり大きな部分を会社に使ってきたということです。
時間もそうですし、気力や感情の面でもかなり会社中心でした。
契約のことを考える。数字を考える。人間関係を考える。上司や同僚の動きも気にする。
仕事が終わっても頭の中は会社のことで埋まっている。
以前はそれを「責任感」と思っていましたし、むしろそうあるべきだとも感じていました。

でも今は、その状態を少し引いたところから見られるようになっています。
怪我をしたことで、今まで当然だと思っていた働き方や時間の使い方が、実はかなり会社側に寄っていたことに気づきました。
本来ならもっと自分の体や生活、気持ちの余白に使うべき時間まで、会社に持っていかれていたのではないか。
そう感じることが増えています。

しかも今回のように、いざ自分が思うように動けなくなると、その会社中心の生き方は一気に苦しくなります。
単身赴任先での生活、通勤、移動、買い物、通院、回復。
ただでさえ考えることが多いのに、そのうえで会社の理不尽さまで受け止めるのはかなりしんどいです。
そうなると、今まで当たり前のように差し出してきた時間や気力が、急に惜しく感じるようになりました。

たぶん以前の自分なら、ここまで明確には思わなかったと思います。
忙しくても、納得できないことがあっても、「働くとはそういうもの」と無理に飲み込んでいたはずです。
でも今は、怪我をしたことで一度立ち止まらざるを得なくなり、その結果、自分の時間の使い方そのものを見直すようになっています。
会社に人生の大半を使うことが、本当に自分の望む生き方なのか
この問いを、今はかなり強く持っています。

これからは会社以外の軸も育てたい

だからこそ今は、会社だけに気持ちも時間も預ける生き方を少しずつ変えたいと思っています。
もちろん、現実にはすぐに会社を辞めるわけにはいきませんし、生活もあります。
それでも、今までのように「会社がすべて」の感覚で生き続けるのは違うと感じています。

今回の怪我で、自分の中ではかなりはっきりしました。
会社は大事ではあっても、人生そのものではない。
そこに時間も精神も注ぎ込みすぎると、自分が苦しくなった時に何も残らない。
むしろ、会社以外の軸がないことの方がリスクなのではないかと感じています。

以前から副業や発信に取り組んでいるのも、そうした危機感があるからです。
ただ、今回の怪我を通じて、その必要性を頭で理解するだけでなく、かなり現実的なものとして感じるようになりました。
会社の理不尽さに怒るだけでは、結局自分の時間が減っていくだけです。
それよりも、その時間を少しでも自分の未来につながるものに使いたい。
今はその気持ちの方が強くなっています。

もちろん簡単ではありません。
本業もありますし、怪我の回復もあります。
それでも、今の違和感をただの愚痴で終わらせず、これからの生き方を変える方向につなげたいです。
会社に注ぐ時間と精神が惜しいと感じるようになった今だからこそ、会社以外の軸を育てることに、以前よりはっきり意味を感じています。

結論|会社の理不尽に慣れるより、生き方を変えたい

我慢を美徳にする働き方はもうやめたい

今回のアキレス腱断裂をきっかけに、自分の中でかなりはっきりしたことがあります。
それは、会社の理不尽に慣れることを大人だと思って生きるのは、もうやめたいということです。

今までの自分は、かなり会社に寄せて生きてきたと思います
理不尽なことがあっても、納得できないことがあっても、「仕事だから」「会社員だから」「みんな同じだから」と飲み込んできました。
担当エリアに同僚が平気で入ってきても、上司がお咎めなしでも、悔しさをエネルギーに変えてやるしかないと思っていた部分があります。
実際、それでやってこられた時期もありました。

でも今回、怪我をして思うように動けなくなって初めて、その生き方がかなり無理の上に成り立っていたことに気づきました。
体が元気で、気力もある時は、多少の理不尽も押し込められます。
けれど、体が弱った時、生活に不便が増えた時、その我慢は一気に重くなります。
その状態になってもなお、「それでも会社に合わせるのが当たり前」と考えるのは、自分にとってかなり苦しいことだと分かりました。

今までは、我慢できることや飲み込めることを、どこかで強さだと思っていた気がします。
でも今は、それが本当に強さなのか分かりません。
むしろ、自分の違和感を押し殺し続けて、会社に時間も精神も渡し続けることの方が危ういのではないかと思っています。
我慢することが美徳みたいに扱われる働き方は、少なくとも今の自分にとっては、もう前向きなものには見えません。

この違和感を、今後の行動につなげたい

だからこそ今は、会社の理不尽に慣れてしまうより、この違和感をちゃんと覚えておきたいと思っています。
悔しい、虚しい、アホらしい。
そう感じるのは、単に今の気分が荒れているからではなく、自分の中で価値観が変わってきているからです。

以前なら飲み込めたものが、今は飲み込めない。
それは自分が弱くなったのではなく、今まで見ないようにしていた本音が、ようやく見えるようになってきたのだと思います。

もちろん、すぐに環境を大きく変えられるわけではありません。
生活もありますし、現実には会社員としての仕事を続けていかなければならない部分もあります。
でも、だからといって今までと同じ感覚で、会社を最優先にし続ける必要はないはずです
今はまだ小さくても、自分の気持ちや時間を会社以外にも分けていくことが大事だと感じています。

今回の怪我で分かったのは、会社員という働き方は、元気に動けることを前提にしているということでした。
そして、そこに理不尽さまで重なると、人はかなり簡単に消耗します。
だから自分は、もう会社の理不尽に適応することを目標にしたくありません。
それよりも、自分が少しでも息がしやすい生き方へ動いていきたいです。

今後も会社の中で理不尽なことはあると思います。
同僚に腹が立つこともあるでしょうし、上司の対応に虚しくなることもあると思います。
でも、そのたびに全部の感情を会社に持っていかれるのではなく、「自分は本当はどう生きたいのか」を考える方に力を使いたいです。
そう思えるようになったこと自体が、今回の怪我で得た大きな気づきなのかもしれません。

今はまだ途中です。
でも、会社の理不尽に慣れて終わるのではなく、この違和感をきっかけに生き方を変えていきたい。
そう思えたことは、自分にとってかなり大きいです。
アキレス腱断裂は大変な出来事でしたが、ただつらかっただけで終わらせず、これからの行動につなげていきたいと思っています。

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