アキレス腱断裂後、松葉杖で会社まで通うようになると、周囲からは「もう結構歩けるんですね」と思われることがあります。たしかに会社まで来ている以上、見た目には少し回復したように見えるのかもしれません。ですが実際は、歩くだけでもかなり大変です。特に朝のラッシュは本当にきつく、通えていることと、無理なく動けていることはまったく別だと感じます。今回は、アキレス腱断裂後の松葉杖通勤で感じているリアルな負担や、周囲との見え方のズレについて書いていきます。
アキレス腱断裂後の松葉杖通勤は、周囲が思うよりずっと大変だった

会社まで来ているだけで「もう歩ける」と思われやすい
アキレス腱断裂後、松葉杖で会社まで通うようになると、周囲からは思っている以上に「もう結構歩けるんですね」という目で見られやすいと感じます。
たしかに、会社まで来ているという事実だけ見れば、少し回復しているように見えるのかもしれません。松葉杖を使っていても、外に出て、駅を使って、会社まで来ている。そこだけを切り取れば、「大変なのはもう少し落ち着いたのかな」と受け取られても不思議ではありません。
でも実際は、そこにかなり大きなズレがあります。
会社まで来られていることと、無理なく歩けていることはまったく別です。
この違いは、自分が怪我をするまでは正直あまり分かっていませんでした。
通勤しているなら、ある程度は動けるのだろう。出社できているなら、かなり回復しているのだろう。そういう見方をしてしまいがちですが、実際には「何とか来ているだけ」の日も普通にあります。
特にアキレス腱断裂後は、松葉杖を使っていても足への不安が消えるわけではありません。
一歩一歩に気を使いますし、少しの段差や床の状態でも緊張します。
それでも仕事がある以上、行かないといけない。だから来ているだけであって、決して楽に動けているわけではありません。
この「通えている=もう大丈夫ではない」という感覚は、実際にその立場にならないとかなり伝わりにくいと思います。
しかも見た目というのは、思った以上に強いです。
松葉杖をつきながらでも移動している様子を見ると、周囲はどうしても「意外と動けるんだな」と受け取りやすい。
でも本人としては、毎日の通勤そのものがかなり大きな負担です。
それなのに、見た目だけで「もう歩ける」と思われると、こちらが感じているしんどさとのズレが余計に苦しくなります。
今回あらためて感じたのは、社会の多くが“来ているならできる”という前提で見ていることでした。
でも現実は、来られていることと、余裕があることは違います。
アキレス腱断裂後の松葉杖通勤は、まさにその差を毎日感じる時間でした。
実際は歩くだけでもかなり負担が大きい
実際にやってみると分かるのですが、松葉杖で会社まで通うのは、周囲が想像するよりずっと負担が大きいです。
ただ「歩きにくい」というレベルではありません。
歩くだけで体力を使いますし、神経もかなり使います。
普通に歩ける時なら何も考えないような移動が、全部“気をつけながらやること”に変わります。
たとえば駅まで行くまでの道でもそうです。
路面のちょっとした傾き、段差、人とのすれ違い、自転車の動き、雨の日なら滑りやすさまで気になります。
会社に着く前の時点で、すでにかなり消耗している日もあります。
それでも会社に着いてしまえば、周囲から見えるのは「今日も来ている」という結果だけです。そこまでにどれだけ負担があったかは、ほとんど見えません。
さらにきついのは、松葉杖での移動は単純に時間がかかるだけでなく、気持ちまで削られることです。
急げない、避けにくい、流れに乗れない。
そういう状況が続くと、移動だけでかなり疲れます。
特に通勤は朝からその状態になるので、仕事が始まる前にすでに消耗している感覚があります。
普通の状態なら「通勤してから仕事」が当たり前ですが、今は「何とか通勤して、その残りで仕事をする」という感覚に近いです。
以前、単身赴任先から駅までの移動や、朝の移動手段そのものにかなり苦労したことを書きましたが、会社までの通勤全体を通しても、やはり元気に動けることが前提の社会なんだなと感じます。
少しでも動いていると、周囲は「もう歩ける」と思う。
でも本人は、歩けているというより、何とか持ちこたえているだけのことも多い。
この差はかなり大きいです。
だから最近は、会社まで通えていること自体を、自分の中では「回復した証拠」とはあまり思わないようにしています。
むしろ、まだかなり無理をしている部分があることを忘れないようにしたいです。
通勤できているから大丈夫、ではなく、通勤できていても負担はかなり大きい。
そこを自分でも見失わないようにしたいと思っています。
関連記事:アキレス腱断裂後、単身赴任先での生活は地味にきつい|食料品・駅まで1.5キロ・タクシー代の現実
アキレス腱断裂で会社に通うと、通えていることと回復したことを混同されやすい

見た目で分かる回復と本人のしんどさは違う
アキレス腱断裂後に松葉杖で会社へ通っていると、周囲からはどうしても「もう結構回復してきたんですね」と見られやすいです。
悪気があるわけではないと思います。むしろ心配してくれている人も多いですし、励まそうとしてくれている場合もあります。ですが、実際に通っている側としては、その見え方と自分の感覚の差がかなり大きいと感じます。
たしかに、以前よりできることは増えています。
家の中では少しずつ動けるようになってきていますし、松葉杖にも多少は慣れてきました。会社まで来ること自体はできている。そういう意味では、回復が進んでいるのは事実です。
でも、そのことと「もう普通に近い状態で動けている」は全然違います。
本人の感覚としては、通勤の一つひとつにまだかなり気を使っています。
歩幅、段差、人との距離、床の滑りやすさ、駅の流れ。こうしたものを全部気にしながら動いているので、見た目以上に神経を使います。
つまり、周囲から見えるのは「来ている姿」だけですが、こちらが感じているのは「何とか来ている負担」の方です。
ここがかなり伝わりにくいです。
松葉杖をつきながらでも出社していれば、どうしても「少しずつ元に戻っている」という印象が強くなります。
でも実際には、回復してきた部分と、まだ全然しんどい部分が同時にあります。
そのグラデーションは本人にしか分からないのに、外からはどうしても「もう歩ける」に見えやすい。
このズレが、通勤していて地味にきついところだと思います。
特に朝の時点でかなり気力を使って会社に着いていると、その後に「もう大丈夫そうですね」と受け取られることが、少ししんどく感じることもあります。
もちろん責めたいわけではありません。
ただ、回復というのは見た目だけでは分からない部分がかなり多いのだと、今回の怪我でよく分かりました。
無理して来ているだけの日もある
さらに言うと、会社に通えている日が、必ずしも「余裕を持って動けている日」とは限りません。
むしろ実際は、無理して来ているだけの日もあります。
今日は行けるかもしれない。
何とか間に合うかもしれない。
そう思って動いているだけで、決して楽ではない日も普通にあります。
朝から足の状態に気を使い、移動だけで疲れて、それでも仕事があるから行く。そういう日は、本人の中ではかなり頑張っているつもりでも、周囲にはそこまで見えません。
ここが会社員のつらいところでもあります。
出社してしまえば、「来られた」という事実だけが残ります。
そこに至るまでにどれだけ慎重に動いたか、どれだけ不安があったか、どれだけ消耗したかは見えにくい。
結果として、「通えているなら大丈夫」と扱われやすくなります。
でも実際には、通えていることと、問題なく働けていることは別です。
以前、単身赴任先での生活や駅までの移動がかなりきついことも書きましたが、通勤全体を通して感じるのは、社会は“出社できたかどうか”で見がちだということです。
けれど本人としては、その前の段階でかなり消耗しています。
だから今は、自分の中で「通えているから平気」とは思わないようにしています。
無理している時は無理していると認識しておかないと、周囲の見え方に引っ張られて、自分まで「もう大丈夫なはず」と錯覚してしまいそうだからです。
怪我をしてから分かったのは、回復は一直線ではないということでした。
少しできるようになっても、まだかなりしんどい。
会社へ行けても、それはまだ“元通り”ではない。
その現実を自分自身がちゃんと分かっておくことが、今はかなり大事だと感じています。
アキレス腱断裂後のラッシュ通勤は本当にきつい
人の流れが早く、松葉杖ではかなり怖い
アキレス腱断裂後の通勤で特にきついのが、朝のラッシュです。
普通に歩ける時は、多少人が多くても「混んでいるな」で終わることが多かったと思います。
でも松葉杖の状態になると、ラッシュはただの混雑ではなく、かなり神経を使う時間に変わります。
まず、人の流れがとにかく早いです。
駅の構内も、ホームも、階段付近も、みんなそれぞれ急いでいます。こちらは松葉杖なので当然その流れには乗れません。
急ぎたくても急げないし、避けたくてもすぐには避けられない。
この「自分だけ動きが遅い」という感覚が、まずかなりしんどいです。
しかもラッシュ時は、人との距離が近いです。
少しぶつかられるだけでも不安がありますし、後ろから急がれる感じがあるだけでかなり怖いです。
松葉杖をついていると、自分のバランスだけでなく、周囲との距離まで常に気にしないといけません。
普通に歩いている人同士なら何でもない接触でも、今の自分にはかなり怖く感じることがあります。
特に怖いのは、
・後ろから抜かれる時
・横をすれ違われる時
・階段やエスカレーター付近の流れ
・ホームで電車を待つ時間
このあたりです。
ほんの少しタイミングがずれたり、人の流れが急に変わったりするだけで、一気に緊張します。
アキレス腱断裂後は、歩くこと自体がまだ完全に安心できる状態ではありません。そこにラッシュのスピード感が重なると、通勤はかなり怖い時間になります。
会社まで通えていると、周囲からは「もうある程度動けるんだろう」と思われやすいですが、実際にはこういう場面でかなり神経を削られています。
ただ移動しているだけではなく、転ばないように、ぶつかられないように、無理な動きをしないようにと、頭の中ではずっと注意を続けています。
この見えにくい負担が、ラッシュ通勤では特に大きいです。
朝の通勤だけでかなり消耗する
ラッシュ通勤がきついのは、怖いだけではありません。
朝の通勤だけでかなり消耗するというのも大きいです。
会社に着く前の段階で、すでに疲れている感覚があります。
もちろん仕事はそこから始まるのですが、今の自分にとっては、通勤そのものがひとつの大きな仕事のようなものです。
駅まで行く、松葉杖で移動する、人の流れを気にする、電車に乗る、会社までたどり着く。
その一連の流れをこなすだけで、体力も気力もかなり使います。
特にきついのは、ラッシュでは自分のペースが守りにくいことです。
本来なら慎重に動きたい。ゆっくり足元を確認しながら進みたい。
でも周囲はどんどん進んでいくので、自分だけ止まることにも気を使います。
その結果、急いではいけないのに気持ちは急がされる、というかなり嫌な状態になります。
これは思った以上に疲れます。
さらに、ラッシュの中では「松葉杖だから大変だろう」と気づいてくれる人もいれば、そうではない人もいます。
もちろん誰かを責めたいわけではありません。みんな自分の通勤で精一杯なのだと思います。
でもこちらとしては、その中で自分の身を守りながら進まないといけないので、毎朝かなり気を張ります。
その緊張感のまま会社に着いて仕事を始めるのは、正直かなり重いです。
以前書いたように、会社まで通えていることと、無理なく働けていることは別です。
ラッシュ通勤はまさにその象徴で、見た目には「出社できている」だけでも、本人の中では朝の時点でかなり削られています。
だから最近は、会社に着いた時点でどっと疲れる日もありますし、「今日もここからか」と思うこともあります。
アキレス腱断裂後にラッシュ通勤をしてみて強く感じたのは、やはり社会は元気に動けることが前提で回っているということです。
普通に歩ける人にとっては流れに乗るだけの朝でも、松葉杖の自分にとってはかなり高いハードルになる。
そういう現実を毎日のように感じています。
だから今は、通勤できているから大丈夫とはまったく思えません。
むしろ、朝のラッシュを何とかやり過ごしているだけでも、かなり無理をしているのだと感じています。
この消耗を軽く見ないことが、今の自分には大事だと思っています。
関連記事:会社の理不尽に疲れた|怪我をしてから飲み込めなくなった会社員の本音
松葉杖で会社まで通う生活で感じたのは、元気に動けることが前提の社会だった

少し動けるだけで「もう大丈夫」と見られやすい
アキレス腱断裂後に松葉杖で会社まで通うようになって、強く感じるようになったのが、この社会は元気に動けることが前提で回っているということでした。
これは頭では何となく分かっていたつもりですが、実際に自分が怪我をしてみると、想像以上にはっきり見えるようになりました。
特に感じるのは、「少し動ける」だけで周囲からはもうかなり回復した人のように見られやすいことです。
会社まで来ている。松葉杖でも移動している。電車にも乗っている。
そういう姿だけを見れば、「大変なのは分かるけど、だいぶ良くなってきたんだろうな」と思われるのは自然かもしれません。
でも実際は、その“少し動ける”の中にかなり大きな負担があります。
歩くこと自体に気を使う。
人の流れに乗れない。
ラッシュは怖い。
会社に着く前からかなり消耗している。
それでも周囲には「もう来られている人」として映る。
このズレはかなり大きいです。
そして、そのズレがあるからこそ、自分でも少し怖くなります。
周囲からそう見られていると、こちらまで「もう少し普通にやらないといけないのかもしれない」と引っ張られそうになるからです。
でも実際は、まだ全然無理がある。
この感覚を自分で見失うと、無理してしまうと思います。
たぶん社会の仕組みとしては、「完全にできない人」には比較的分かりやすく配慮が向きます。
でも、「少しはできる人」「何とか来られている人」になると、その大変さはかなり見えにくくなります。
松葉杖で会社まで来られている時点で、周囲の中では“ある程度はできる側”に入ってしまう。
でも本人としては、決してそんなに余裕があるわけではありません。
今回の経験でよく分かったのは、見た目で分かる回復と、実際の負担はまったく同じではないということです。
外から見ると少しずつ前に進んでいるように見えても、本人の中では毎日かなり神経を使っています。
それなのに、「来ているならもう大丈夫」「歩けているならかなり良くなっている」と見られやすいのは、やはり社会の基準が元気な人の感覚を前提にしているからだと思います。
怪我をしないと分からなかったことがある
正直に言うと、自分も怪我をする前は、ここまで細かくは分かっていませんでした。
松葉杖をついて通勤している人を見れば、「大変そうだな」とは思ったはずです。
でも、その大変さがどこまで日常のすべてに広がっているかまでは、想像できていなかったと思います。
実際に自分がアキレス腱断裂をしてみると、通勤ひとつ取っても、ただ会社に行くだけの話ではありませんでした。
駅まで行くのも大変。
ラッシュも大変。
会社に着くまでにかなり疲れる。
しかも、会社に着いたからといってそこで終わりではなく、その後に普通に仕事が始まる。
この現実を体で知ると、「通えているなら大丈夫」と簡単には言えないことがよく分かります。
さらに、少し動けるようになった時期ほど難しいことも分かりました。
まったく動けないなら周囲にも伝わりやすいし、自分でも無理をしにくいです。
でも、少し動けるようになると、周囲も「良くなってきた」と思いやすくなるし、自分でもどこまで無理していいのか分からなくなる。
この中途半端な時期のしんどさは、怪我をしないとかなり分かりにくいと思います。
今回のことで、自分の中ではかなり見え方が変わりました。
元気に動けることは当たり前ではない。
普通に通勤できることも当たり前ではない。
少し動けているように見えても、その裏ではかなり負担があることもある。
そういうことを、ようやく実感として理解できるようになった気がします。
だから今は、松葉杖で会社まで通えているからといって、それを「もう平気」とは思わないようにしています。
むしろ、こうして何とか通っている今の状態こそ、元気に動ける人を前提に作られた社会の中で、かなり無理をして合わせているのだと思っています。
怪我をしないと分からなかったことはたくさんありますが、その中でも大きかったのは、社会の普通は、動ける人の普通でしかないということでした。
結論|通えていることと、無理なく働けることは別だった

見た目よりずっと負担は大きい
アキレス腱断裂後に松葉杖で会社まで通うようになって、いちばん強く感じたのは、通えていることと、無理なく働けていることはまったく別だということでした。
これは実際に自分がその立場になってみて、ようやく分かったことです。
会社まで来ている。
電車にも乗っている。
松葉杖でも移動している。
こういう姿だけを見ると、周囲からは「もう結構動けるんだな」と見えやすいと思います。
でも実際は、その“来られている”の中にかなり大きな負担があります。
朝の時点でかなり神経を使いますし、ラッシュでは特に気を張ります。
歩くだけでも気を使う。
人の流れにも気を使う。
転ばないように、ぶつかられないように、足に余計な負担をかけないように意識する。
そうやって何とか会社に着いているだけで、本人の中ではすでにかなり消耗しています。
それでも、会社に着いてしまえば仕事は普通に始まります。
「今日は大変だったからここで終わり」にはなりません。
ここがかなりきついところです。
通勤だけでかなり削られているのに、その先に普通の仕事が待っている。
だから、自分の中では出社できていること自体を、回復した証拠とはあまり思えません。
むしろ、まだ無理をしている途中だと感じることの方が多いです。
以前なら、自分もここまで細かくは考えていなかったと思います。
通えているなら、ある程度は大丈夫なのだろう。
少し動けているなら、かなり良くなっているのだろう。
そういう見方をしていたかもしれません。
でも、実際にアキレス腱断裂をしてみると、その見え方と本人の現実にはかなり大きな差があることが分かりました。
今回の松葉杖通勤で感じたのは、社会の多くが「来られるならできる」「動けるなら大丈夫」という前提で回っているということです。
けれど、怪我をしている側からすると、その前提はかなり苦しいです。
何とか通えているだけの日もある。
仕事をこなしているように見えても、実際はかなり無理している日もある。
その現実は、見た目だけではなかなか伝わりません。
今は無理なく回復することを優先したい
だからこそ今は、通えていることに引っ張られすぎないようにしたいと思っています。
会社に行けているからもう大丈夫、周囲からそう見られるからもっとやれるはず、そういう感覚に自分まで流されるのは危ないと感じています。
アキレス腱断裂の回復は、見た目で分かるほど単純ではありません。
少し動けるようになったからといって、すべてが元に戻るわけではないですし、通勤や仕事の中ではまだかなり負担があります。
特に松葉杖での通勤やラッシュの中での移動は、毎日の積み重ねで体にも気持ちにも負担がかかります。
それを軽く見てしまうと、無理を重ねてしまいそうで怖いです。
今回あらためて思ったのは、今の自分に必要なのは「普通に見えること」ではなく、無理なく回復していくことだということです。
会社に行けるかどうかよりも、自分の体にとって無理がないか。
周囲にどう見られるかよりも、自分が本当にしんどくないか。
そこをちゃんと見ないといけない時期なのだと思います。
もちろん、仕事がある以上、現実には簡単ではありません。
休みたい日でも行かないといけないことがありますし、通勤そのものを避けられない日もあります。
それでも、少なくとも自分の中では「通えているから平気」とは思わないようにしたいです。
むしろ、通えている今だからこそ、まだ無理をしている部分があると意識しておきたいと思っています。
アキレス腱断裂後の松葉杖通勤を通して分かったのは、回復とは単に動けるようになることではなく、無理なく日常を送れる状態に近づくことだということでした。
だから今は、見た目の回復や周囲の認識よりも、自分の体の感覚を優先して、焦らず回復していきたいと思っています。
関連記事:アキレス腱断裂で会社に通うと、通えていることと回復したことを混同されやすい
会社に来ているだけで「もう歩ける」と見られやすい違和感については、こちらの記事でも詳しく書いています。



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